湯之奥金山博物館 |
2003年08月25日 |
毛無山の山腹にある中山金山、内山金山、茅小屋金山の三つの金山を湯之奥金山と総称する。高い山の金脈を追った金山衆の技術を示し、江戸期に盛んになる金・銀山の源となった戦国期の金山の姿を今に伝えている。 下部町の金山 |
湯之奥村と穴山氏 湯之奥金山の鉱石の特徴 |
甲州金 近世の金・銀山 |
金山衆とは 金山衆の生活と信仰 武田信玄は金山衆の持つ採鉱技術を城攻めにも利用した。元亀2(1571)年の深沢城(静岡県御殿場市)攻めでは、彼らが城の外郭を掘り崩したことが記録に見えている。この戦いで戦功をあげた中山の金山衆は、信玄から籾150俵を与えられている。 |
武田領内の金山 |
→黒川金山
|