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愛知県岡崎市

七人塚

2014年03月29日

戦国時代のお話です。武田氏と徳川氏に挟まれたこの地方の豪族奥平氏は、家の存続を計るためいろいろと苦労をしました。
武田方についていた奥平氏は、一族の仙丸、おふう、虎之助等を武田方に人質として出していました。天正元(1573)年奥平氏が徳川方に寝返ったとして、武田方はその人質を鳳来寺の門前にてさらし首にしてしまいました。奥平方はその首を奪回し、夏山の遊仙寺に運びました。武田方もその首を追って遊仙寺近くまで来ましたが、夏山の黒屋一族に追いつめられ、とうとうこの地で討ち取られてしまったということです。
昭和になって、武田方の子孫も呼んで、このゆかりの地に碑を建立し霊を弔いました。
(看板資料より)

 



2005年02月11日

戦国時代のお話です。武田氏と徳川氏に挟まれたこの地方の豪族奥平氏は、家の存続を計るためいろいろと苦労をしました。
武田方についていた奥平氏は、一族の仙丸、おふう、虎之助等を武田方に人質として出していました。天正元(1573)年奥平氏が徳川方に寝返ったとして、武田方はその人質を鳳来寺の門前にてさらし首にしてしまいました。奥平方はその首を奪回し、夏山の遊仙寺に運びました。武田方もその首を追って遊仙寺近くまで来ましたが、夏山の黒屋一族に追いつめられ、とうとうこの地で討ち取られてしまったということです。
昭和になって、武田方の子孫も呼んで、このゆかりの地に碑を建立し霊を弔いました。
(看板資料より)

額田カントリークラブ(ゴルフ場)の入口から一本南側にある道を東に入っていき、途中ゴルフ場に沿ってどんどん進んでいきます。ゴルフ場から離れて少し行ったところの左側に古めかしい看板があるのでそこが入口です。そこから先も車でもなんとか入っていくことはできますが私は車は置いて歩きました。森の中をしばらく歩くと道が2つに分かれているので左に行くのが正解です。私は最初は右の方に行ってしまいましたがこちらは行き止まりです。左側の小さな道を進んでいくと途中看板がひとつあってその先の左手の奥に七人塚が見えてきます。七人塚の周辺は森の中で道路からもちょっと離れているし、多分当時の風景とあまり変わらないままの状態なのかもしれません。
奥平仙千代や於フウの首をめぐって、奥平と武田の戦いが起きたところです。
なかなか見つけられなかったので不安になりましたが勇気を出して歩いていきましょう。


遊仙寺
日近城
広祥院
奥平仙千代の墓
於フウの墓
虎之助の墓

 

 
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