奥平九八郎貞勝の墓 |
2014年03月29日 |
奥平家の先祖は上野国に住んでいましたが、南北朝時代、作手に来住し勢力を伸ばしました。戦国時代になって、奥平九八郎貞勝が当主になったころは、今川、織田、武田、徳川の強豪に囲まれていて、家の存続をはかるのは大変なことでした。ある時は織田方、ある時は今川方、ある時は武田、徳川に二またをかけるようにして戦国の世を渡ってきました。 |
2005年02月11日 |
奥平家の先祖は上野国に住んでいましたが、南北朝時代、作手に来住し勢力を伸ばしました。戦国時代になって、奥平九八郎貞勝が当主になったころは、今川、織田、武田、徳川の強豪に囲まれていて、家の存続をはかるのは大変なことでした。ある時は織田方、ある時は今川方、ある時は武田、徳川に二またをかけるようにして戦国の世を渡ってきました。 |
奥平貞勝の墓所はもともと滝山城(亀穴城)の屋敷跡にあったそうですが、山崩れにより現在の場所に移されたとのことです。宮崎神社の裏側に明見公民館がありますが、その公民館の横に奥平九八郎貞勝の墓がありました。武田と徳川の二大勢力に挟まれた状況の中、どちらが生き残るのか分からないまま一族が別れたのか、または徳川の世になることを見通したうえで子や孫達を徳川方につかせたのか分かりませんが、自らは次男の常勝とともに武田方につき、武田が滅ぶまで甲斐にいたとのこと。奥平家存続のために幾多の合戦にて活躍し波乱の生涯をおくったものの、武田方についたためにその名が語り継がれていないのではないかと言われているらしい。
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