武田刑部少輔信廉屋敷跡 |
2007年10月28日 |
信虎の三男(実は四男)。生母は大井氏で、信玄・犬千代(早世)・信繁・信廉は同腹である。仮名は孫六で、元服して刑部少輔の官途を称した。兄信繁とともに、信玄を支え、信濃深志城代や高遠城代を歴任したという。だが信廉は武将としての活躍よりも、画家としての実績のほうが著名で、父武田信虎画像(甲府市大泉寺所蔵)、母大井夫人画像(甲府市長禅寺所蔵)などを残している。兄信玄の死後、出家して逍遥軒信綱と称し、勝頼を補佐した。天正5(1577)年からは、信濃大島城代となり、織田・徳川軍の侵攻に備えた。また、勝頼とともに諏訪大社下社宝塔の建立に携わっている。武田家滅亡後、織田軍に捕らえられ、甲府の立石(鮎川原ともいわれる)で殺害された。甲府の逍遥院に供養塔がある。 |
武田刑部少輔信廉
(天文元年〜天正10年3月24日) |