大泉寺 |
2013年09月01日 |
大泉寺総門
この総門は永慶寺から移築されたと伝えられている。黄檗宗様式の門として建物細部の諸要素は宇治万福寺の総門に極めて近似している。 |
本堂
大泉寺文書 金銅金具装笈 絹本著色武田信虎像 |
武田信虎の墓
武田信虎の墓
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2013年02月03日 |
武田信虎の墓 |
2005年01月09日 |
大泉寺総門
この総門は永慶寺から移築されたと伝えられている。黄檗宗様式の門として建物細部の諸要素は宇治万福寺の総門に極めて近似している。 |
大泉寺文書 金銅金具装笈 絹本著色武田信虎像 |
武田信虎の墓
本史跡は室町時代末戦国の世に活躍した武田信玄の父信虎の墓域である。信虎は武田五郎信縄の長男として明応3年1月6日石和の居館で生まれ幼名を川田五郎と呼ばれた。 正面の総門付近には車を止めるスペースはなく、向って右側から奥に進むと駐車場がありました。途中から道路は完全に凍結してしまっていましたが駐車場まで問題なくたどり着けました。車で奥まで行ってしまったので総門から歩いていくことができませんでしたがそのまま奥に歩いて行きました。既に以前来たことがあったので武田信虎の墓の場所も知っていたので裏側にまわって外側から写真を撮りました。しかしどうしても中に入りたかったので総門の近くで掃除をしていた方に許しを得て墓所の入口を開けて中に入って間近から拝見させていただきました。見学終了後墓所から出ようとしたら、外に人の気配がし、なんと外側から閉められてしまっていたのです。まだ近くにいたので声をかけて開けてもらい脱出することができました。最近浮浪者が入り込むので警戒しているのだそうです。そういえば墓所の中には糸のようなものが張り巡らされていたのですがひょっとしたらセンサーのようなものが設置されていたのでしょうか?
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2001年02月18日
大泉寺は大永元年(1521)に信虎が菩提寺として開基したお寺である。 |
大泉寺総門
この総門は永慶寺から移築されたと伝えられている。永慶寺は宝永7年(1710)に甲府城主柳沢吉保が建立した菩提寺であり、現在の護国神社境内及びその周辺にあったが、享保9年(1724)柳沢氏が大和郡山へ転封になったため移転することになり、それに伴い総門がここに移転され今も現存している。 |
信虎、信玄、勝頼三代の墓 |
→桂泉院
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