長禅寺 |
2013年09月01日 |
天文20(1551)年信玄の帰依僧岐秀和尚が開いた臨済宗妙心寺派の名刹で、信玄が禅法を学んだ所として有名です。天文21(1552)年5月信玄の母大井夫人が没したので、この寺に葬り、本堂北桜林の中に墓があります。又信玄の弟逍遥軒の筆による「信虎婦人画像」は重要文化財になっています。 |
武田信玄の母大井夫人の菩提寺。岐秀元伯が開いた臨済宗妙心寺派の名刹。はじめは現在の南アルプス市鮎沢にあった。大井夫人はその岐秀元伯に帰依、嫡子晴信(後の信玄)に儒学、修禅、治国の基本を学ばせた。永禄2(1559)年に晴信が出家した時には岐秀元伯を導師とし、機山信玄の法名も岐秀から贈られたという。大井夫人は、天文21(1552)年にこの世を去ったが、晴信は鮎沢では母の墓所が遠かったため、亡き母を開基に、岐秀和尚を開山に請じ、館に近い現在の地に新たに長禅寺を開かせたもの。このため鮎沢の寺は以来、古長禅寺と呼ばれるようになった。信玄は臨済宗の関山派に深く帰依し、京都や鎌倉五山にならって甲府五山をおき、長禅寺をその主座としたという格式と由緒のある寺である。 |
本堂
武田信玄公母堂 北之坊霊廟
大井夫人の墓
2001年02月18日 |
信玄の母大井夫人の菩提寺は甲西町にあったが、甲府から遠いため信玄が甲府に移して、開山を岐秀禅師、開基を大井夫人として長禅寺を開いた。長禅寺は甲府五山の筆頭格で信玄はここで岐秀禅師を大導師として剃髪して出家している。 |
大井夫人の墓
大井夫人の霊廟
1984年03月29日 |
天文20(1551)年信玄の帰依僧岐秀和尚が開いた臨済宗妙心寺派の名刹で、信玄が禅法を学んだ所として有名です。天文21(1552)年5月信玄の母大井夫人が没したので、この寺に葬り、本堂北桜林の中に墓があります。又信玄の弟逍遥軒の筆による「信虎婦人画像」は重要文化財になっています。
→古長禅寺
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