横田備中守高松屋敷跡 |
2007年10月28日 |
伊勢国出身と伝わる。騎馬30騎、足軽百人を率いる足軽大将として、武田信虎・信玄2代の重要な作戦のうち、34度に参加し、そのため全身に31ヶ所の疵痕があったと伝わる。天文15(1546)年8月、信玄が信濃志賀城(佐久市)の笠原清繁を攻めた際に、関東管領上杉憲政の援軍を、高松は板垣信方らとともに、小田井原の合戦でこれを撃破している。天文19(1550)年8月、信玄が村上義清の属城戸石城(上田市)を攻めた際に、攻撃前の敵情視察に赴いている。だが、この攻城戦に失敗し、信玄は全軍に退却を指示した。高松は殿軍をつとめ、村上軍の追撃を受けて戦死した。家督は養子康景(原虎胤の実子)が継いだ。 |
横田備中守高松
(長享元年〜天文19年10月1日) |