戸石城 |
2014年09月28日 |
本城の南にある戸石城
戸石城跡 |
切岸
切り立った険しい崖を切岸というが、戦国時代の城郭では敵の侵入を防ぐために、人工の切岸も造られた。この切岸も人手が加えられたとみられる急崖で、下の堀切とセットになっており、伊勢山方面からの道を押さえている。元来は、はしごを掛けて登降していたものとみられる。 |
本城虎口
石垣跡
本城
本城 |
空堀跡
矢竹
矢竹は節が低く節間もまっすぐなところから矢(矢柄)に用いられ、自然に生えるだけでなく栽培もされる。 |
桝形城
戸石城北端の要害(砦)。入口が折れ曲がっており、桝形状になっているところからこの名がおこったものとみられる。尚、ここが戸石城の最高地点であるところから、ここが「本城」とされていた時期もあった。真田氏の本拠、真田町の本原、長方面が一望に見渡せる。 |
米山城
戸石城は本城を中心に北に桝形城、南に戸石城、南西に米山城の四要害から構成されている堅固な連郭式の山城である。築城年代は明らかではないが、室町時代後期坂城の村上氏が小県へ方面進出する拠点としていた。 |
2012年03月17日 |
天文17(1548)年の上田原合戦において村上義清に敗れた武田信玄は、その後、態勢を立て直し再び村上氏に矛先を向けました。天文19(1550)年9月、村上方の重要拠点であるここ砥石城を攻めました。ここを破れば地蔵峠(上田市と長野市の境)を越えて村上氏の本拠地(坂城町)の背後へ迫ることができるため、信玄は激しく攻め立てました。しかし村上方の抵抗は激しく、城攻めをあきらめた信玄が軍を退却させたところを、村上方は見逃さず追撃し武田軍を破りました。この武田の敗戦は「砥石くずれ」として現在まで語り継がれています。 今回の目的であった戸石城攻略は悪天候のため断念しました。以前来た時は車を止めるところもなくて分かりづらいところから登った記憶があったのですが、今では駐車場やトイレまで完備されていて驚きました。 |
2003年09月23日 |
この城跡は、北に太郎山を背負い、東側は神川の断崖に臨み東太郎山の支脈が南方に突き出た先端に築かれた要害堅固な中世の山城跡である。城跡からの眺望はすばらしく、上田・小県地方はもちろん、烏帽子岳西麓から北佐久方面まで一望のもとに見渡すことができる。 朝5:00に起床。上山田温泉を出発して戸石城に向かいました。6時過ぎには現地に到着しましたがどこから登っていいのか分からず、しばらくあたりをウロウロしたのですが、ちょうど早起きのおばちゃんがいたので聞いてみると奥のお寺からも登れるがお墓の横にある細い道を行けば行かれると教えてくれました。確かにさきほど戸石城の看板があったところにお墓はありましたがその横に道なんかあったかなぁ?と思いつつそこまで戻ってみることにしました。するとそれらしき道のようなものがあったので靴を履き替えて杖を持って登り始めることにしました。(上の写真のところ) |
道を進むと途中左側に小さな石碑(お墓?)が並んでいるところがあり、更に進むと左側に米山城を見ることができました。(一番下から2番目の写真) 尾根に出ると看板があり(上の写真)、右に進むと戸石城まで15分、左に進むと米山城10分と書いてありましたが、休憩しながら考えた結果、先に戸石城に行くことにしました。ここで言っている戸石城とは戸石城の本城のことなのか、一番奥の桝形城のことなのか、一番手前の戸石城のことなのかは分かりませんでしたが、15分という数字を見て、言われていたよりは意外と規模が小さい城なのでは?とも思いました。ここから先は下の写真のようにきれいに階段が整備されていて足場は良かったです。 |
戸石城からの眺め
戸石城跡 |
切岸
切り立った険しい崖を切岸というが、戦国時代の城郭では敵の侵入を防ぐために、人工の切岸も造られた。この切岸も人手が加えられたとみられる急崖で、下の堀切とセットになっており、伊勢山方面からの道を押さえている。元来は、はしごを掛けて登降していたものとみられる。 |
本城
本城 |
石垣
桝形城
桝形城 |
一番奥の桝形城の奥からは真田町が一望できた。思ったより早く戸石城を見ることができ、時間に余裕ができたので、下山後真田町の方に行くことにしました。事前の調査がまったく出来ていないのでちょっと心配であるが歴史の町でもあるし何とかなるだろう。 |
米山城 桝形城からは再び、本城まで戻り、戸石城の横の道を通って米山城に向かいました。先ほどの尾根を下り、看板まで来て今度は反対側の米山城方面に向かいましたが登り始めてすぐに馬場跡を通過してすぐに米山城に到着。ここは4つの城の中で一番開けていて明るいところでした。大きな石碑(村上義清公の碑)があって、上田の町の方に向かって段々状に郭があり先まで行ってみましたがここら辺が二の郭、三の郭なのかもしれません。その後山を下り、8時前には戻ってくることができました。 |