小山田左兵衛尉信茂屋敷跡 |
2007年10月28日 |
小山田氏は、武田家の一門衆(御親類衆)の待遇を受けた名族で、中津森(後に谷村)に館を構えて、都留郡を支配した強豪であった。信茂は、兄弥三郎信有が、永禄8(1565)年8月に病没したため、家督を相続した。武田信玄が、関東で北条氏とともに、上杉謙信と対決した際には、上野原加藤氏とともに、しばしば援軍として派遣されている。永禄12(1569)年に信玄が北条氏を攻めた際には、信茂は別働隊として武蔵国に侵攻し、十々里峠の合戦で北条氏照軍を撃破して、滝山城を囲む信玄本隊と合流している。勝頼時代には、武田信豊とともに武田氏を支え、上杉謙信との同盟締結では中心的役割を果たした。武田氏滅亡後、織田軍に捕らわれ、甲斐善光寺で処刑された。 |
小山田左兵衛尉信茂
(天文9年〜天正10年3月24日) |