←前のページ トップページ↑ 次のページ→

山梨県都留市

中津森館跡

2004年12月26日

桂林寺にて中津森館の場所を尋ねたところ、桂林寺の駐車場から見渡して鉄塔の先のところがちょうど中津森館跡だったといわれているのだそうです。甲斐国志によれば「用津院の東にあり、里人は今も御屋敷と呼ぶ、外郭溝涯処々に列し存したるを土居掘とせり」とあり、また勝山記には「大永7(1527)年7月に中津森の殿様百坪の御家造り給ふ」とあります。享禄3(1530)年3月にこの館は火災で燃えてしまい、その後小山田氏は谷村に新しい屋敷を建てて天文元(1532)年に移り住んでいる。
鉄塔の近くには堀のようなものが残されており、地元では泥堀(でいぼり)と呼んでいるのだそうです。下の用津院と上の桂林寺に挟まれた場所に位置しており平地となっていました。特に説明看板などはありませんでした。
郡内を統治していた小山田氏の拠点は岩殿城周辺の大月であるというイメージがあるのですが、こうやって都留に来てみると小山田氏にまつわる史跡が数多く残されており、小山田氏の拠点としての実感が湧きました。

 
←前のページ トップページ↑ 次のページ→