山本勘助屋敷墓 |
2006年12月03日 |
事前の調査によると、須玉インターチェンジを降りて北のほうに向かっていくと高根クラインガルテンの北のあたりに山本勘助の墓があるとのことでしたので今回立ち寄ることにしました。長坂の方から行ったのですが道路沿いには「山本勘助屋敷墓」と書かれた目立つ旗が立っていたのですぐに分かりました。中型のバスも止まっていて私も車を止めようとしたのですが駐車場はもっと先の畑の中であるとのことでしたので南のほうまで行きましたが駐車場を見つけることができなかったので道路際に止めておきました。既に遅い時間でしたが案内してくれる人がいました。記帳して拝観料も必要とのことで100円支払いました。お話によるとここは山本勘助の屋敷だったところで現在も子孫の方が住んでいるとのことことでした。拝観料を払ったところの右側に山本勘助の位牌があってフラッシュ使用による写真撮影も可とのことでしたので写真を撮らせて頂きました。またここに山本勘助関連書籍も置いてありました。そこから更に置くに行くと山本勘助の墓といわれているところに行くことができます。案内の看板や門などが真新しく、話によれば今年の夏に整備したとのことでした。山本勘助の墓といわれている墓石にはちゃんと山本勘助の戒名が彫ってあるとのことでした。また更にその奥の方に行くと山本勘助の子孫の墓といわれているものもありました。その他伝説の木や、山本勘助が使用した井戸、土塁跡、菅原道真を祭った祠など多数のものがありそれぞれに案内の看板が設置されていました。案内していただいた方に名刺も頂きましたが、ホームページで紹介しても良いとの了解を得ましたのでここで紹介させていただくことにしました。 |
山本勘助の位牌
山本勘助屋敷墓
無縫塔(卵塔)・五輪塔・宝篋印塔・供養塔が存在し、無縫塔が勘助の墓と言われ位牌と同じ戒名の「天徳院武山道鬼居士」が刻まれています。戒名の右横には永禄4(1561)年、左横には9月10日が刻まれています。 |
御神木の杉
神聖な場所である屋敷墓所にふさわしい御神木になります。周りにも大きな木はありますが、この御神木の樹齢は約400年以上とも言われています。 |
八幡大神
三つの家神さん(屋敷神)の一つ屋敷神の主神。文禄3(1594)年、山本主計と刻まれています。 |
屋敷墓所
宮堂形式や宝篋印塔形式の墓石が存在します。元亀、天正、文禄、慶長、寛永、正保、寛文、元禄、享保、延享、安永と江戸後期にいたるまでの年号と先祖の墓石があります。 |
望楼の欅
勘助屋敷の北側には、土塁があり、土蔵の裏には、大きな欅の木がありそこには望楼(物見やぐら)がりました。昭和17年、この欅は戦争のため献木しました。 |
勘助屋敷井戸
山本勘助の屋敷跡と言われる屋敷の中心部に位置する古井戸になり、屋敷跡は当家と分家に現在は分かれています。NHK大河ドラマ「風林火山」の放映を機に古井戸を使えるようにしました。 |
勘助屋敷の土塁
勘助屋敷の北側と西側には土塁(盛土)がありました。現在は日常生活のため周辺を高くしてしまってありますが、西側の部分になるこの土塁はまだ残っています。 |
天神祠
三つの家神さん(屋敷神)の一つ。菅原道真の学問様、天神様になります。 |
馬頭観音
三つの家神さん(屋敷神)の一つ。当家では、代々馬への思いが強く、子馬を育てる名人もいました。 |
→山本勘助の墓(川中島)
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