山本勘助の墓 |
2013年07月21日 |
山本勘助(道鬼)墓 勘助の墓は八幡原の東、松代方面より国道403号線を柴の信号で左折して千曲川にかかる更埴橋の上流200メートルの土手下にある。ここはもと柴阿弥陀堂の境内であったが、昭和の初期頃千曲川堤防の改修で河川敷となり、堂は堤内地に移転し勘助の墓だけがそのまま残ったものである。
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2005年09月24日 |
山本勘助(道鬼)の墓 |
真田信之が隠居していたといわれる大鋒寺を探しているときに見覚えのある場所に来たのですが、なんと山本勘助の墓の近くでした。以前来たときもちょうど台風が接近していたときでした。今回も台風の影響は全くないわけではありませんでしたが雨は降ることなく地面はぬかるんでおらず別の方角から近づいたため本来の墓の正面を確認することができました。以前来たときにも看板はありましたがその反対側まで確認することなく帰ってしまっていたのです。もちろん当時の看板と色も違うので以前来たときに反対側に説明文章が書いてあったのかどうかは今となっては確認することはできませんが、今回は足場が良かったので色々な場所に足を踏み入れることができました。場所はちょうど千曲川を挟んで川中島古戦場の反対側になります。 |
2003年08月15日 |
千曲川沿いの土手の道路沿いから山本勘助の墓に入れますが、その千曲川沿いの道路は進入禁止になっていました。土手からは砂利道を下り、更に墓までは土になっていて、昨日からの雨でぬかるんでいて足場が悪くなっていました。 |
→医王寺(静岡県富士市:山本勘助の墓)
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