蕃松院 |
2014年05月03日 |
大梁山蕃松院の由来 |
本堂
依田右衛門佐信蕃公の由緒
依田信蕃は天文17(1548)年清和源氏の流れを引く芦田の豪族依田(芦田)下野守信守の嫡男として生まれ、父と共に武田信玄・勝頼に仕える。 |
蕃松院歴代住職の墓地
中央の無縫塔が当寺開山儀山○孝大和尚様、両側は歴代住職の墓である。
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2007年10月07日 |
大梁山蕃松院の由来 |
依田信蕃の墓と伝えられる五輪塔
蕃松院には今まで2回来たことがありました。2003年と2004年に来ているので今回は3年ぶりになります。以前は田の口城のところに記載していましたが蕃松院として独立したページにしました。というもの、蕃松院は田の口城の目印のようなものではなく、今回新たな情報を入手したのです。それはこの蕃松院に依田信蕃の墓と言われているものがあるとのことでした。考えてみれば蕃松院の蕃は依田信蕃の蕃と同じ字なのですね。それに蕃松院というのは依田信蕃の戒名とのことでした。ここでは以前来た時はあまり相手にしてくれなかった記憶があったのですが今回お寺の方は親切に色々なことを教えてくれました。まずお墓ですが本堂の裏山の少し登ったところのちょうど本堂の裏側あたりにあって、五輪の塔が2基並んでいるとのことでした。また位牌などはあるのか聞いてみたところこの蕃松院に存在するとのことで見せていただけるとのことでした。まずはお墓を見学させていただきました。向って本堂の左側から登ることができ、ちょうど本堂の裏手に五輪の塔が2つ並んでいました。すぐに分かると思います。そして下に下りてきてから本堂の中に案内していただき、位牌を見せていただくことにしました。本堂は大きくて立派でした。外観は古くて老朽化しており雨漏りもするとのことで改築の事前調査をしているとのことでした。そして依田信蕃の位牌を見せていただきました。また許可をもらって写真も撮らせて頂きました。彼の話では依田信蕃は一時期藤枝の田中城に居たことがあり、藤枝から学芸員の方が何度かこの蕃松院においでになってお話をお聞きしたりしたとのことでした。もちろん蕃松院は依田信蕃の時代よりも前から存在していましたが、信蕃死去の後、息子の代になって父である依田信蕃を弔うために修築して名前も戒名から取って蕃松院になったとのことでした。それ以前のお寺の名前については不明であるとのことでした。 |
依田信蕃の位牌
2004年04月03日 田の口城から下山した後、蕃松院に寄ってみましたが住職と思われる方に会うことができました。蕃松院に関する資料などがないか聞いてみましたがそのような資料はないとのことでした。蕃松院は田の口城との関係よりも龍岡城との関係が深いらしい話を教えてもらいましたが詳細は不明でした。蕃松院は今まで40年近く無人だったがこれからいろいろと直していくとおっしゃられていました。表の門の前の蕃松院由来が書かれている看板も夏頃には書き換えられるとのことでしたので後日また訪問したときに読んでみたいと思います。
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2003年06月29日 |
蕃松院
田の口城の目印は蕃松院というお寺です。門の前には蕃松院由来という看板があるのですが残念ながら古くて読めません。 |