田の口城 |
2014年05月03日 |
本丸の祠
田口城は関東山地の一支脈が東方から田野口村の北方にまで延びて佐久平に臨む最先端にある。山頂からは佐久一円を一望に収めることができ、稲荷山城が千曲川を挟んで指呼の間にあり、前山城・平賀城などもその全容を望むことができる。 |
帯曲輪
天正10(1582)年に依田能登守が守っていた田口城は、依田信蕃の攻撃を受けて落城し、徳川方の手に落ちたが、信蕃の子松平康国は、小諸城主となって佐久郡を領すると、父信蕃追福のため田口城直下に蕃松院を創立した。いま蕃松院には信蕃の墓と伝えられる墓碑が残っている。 |
本丸(奥)
北の丸の石積み
比高150mに及ぶ山上にあるこの城は、特に南と西は断崖であり、北方も急斜面をなす要害地で、本丸から北西へ無数の郭が複雑に構築されている。新海神社裏の尾根に東方を限る大堀切があり、西の凸部を越えると、本丸東の堀切となる。この堀切は両側に土塁を築き、幅は約10mある。本丸は東西100m×南北70mの広大なもので四周は石積みで構築されている。西の丸は本丸の西約150mを隔てて、その間に数段の郭がある。また本丸の北に東西30m×南北100mと長方形の北の丸があり、それから北西へ10に近い郭が構築されている。これらは桑畑に利用されていたが、現在は落葉松が植えられ展望を妨げている。井戸は8ヶ所あったと伝えられるが、現在は1ヶ所のみである。 |
北の丸の石積み
2004年04月03日 |
龍岡城から見た田の口城
ここは田の口城という名前よりもその向かいに位置する龍岡城五稜郭の方が有名になっています。龍岡城の向かいの山が田の口城であるということがわかる案内はありません。前回の訪問後、田口小学校に教えてもらった2通りの方法でアプローチしてみました。最初に山の北側から山頂までのびている林道を車で行き、その後麓の蕃松院の東側から徒歩で登ってみました。林道は舗装されていない道路ですが下をこするようなことはありませんでした。しかし道路の脇からはみ出している木の枝で車が傷ついてしまいました。 |
林道を登っていくと頂上まで車で行くことができました。頂上には木造の建物があり「城山自然研究園」と書かれた看板がありました。その建物の裏側が高台になっていてその一角に上の写真のような祠がありました。ここが本丸だったのかもしれませんね。この周辺の斜面には下の写真のような石垣?も確認することができました。 |
展望台からの龍岡城五稜郭
林道で山頂に向う途中に右側に看板があって、そこから展望台に行ける道がありましたが我々は本丸と思われる所から奥に進んでいき、曲輪をいくつか下って展望台にたどり着くことができました。展望台のところは木が無くて視界がよく上の写真のように龍岡城五稜郭を見ることができます。曲輪の数も多く、堀切?などもあって本当にここに城があったのだということを実感しました。思っていたより大きな規模で驚きました。 |
登山道の入口
下山後、蕃松院の駐車場に車を止めさせてもらって登山道を探しました。蕃松院からそのまま東の方へ歩いていくと上の写真のところに出るのでここを進んでいくと先ほど山頂近くの林道まで登っていくことができます。登り初めたところに地元の方の墓がありますがそのままどんどん登っていけばokです。 |
しばらく登っていくと大きな崖が現われます。やはりここも志賀城や内山城を同じように岩がゴツゴツしている自然の地形を利用した城だったのですね。崖の真下付近を歩いていくことができるのでかなり迫力があります。 |
2003年07月08日
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2003年06月29日 |
城主は田口氏であったといわれている。田口氏は佐久の豪族として伴野氏、平賀氏とともに相当な勢力をもっていたものと思われます。
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