馬場美濃守討死之地 |
2014年08月15日 |
緒巻桜 天正3(1575)年、織田、徳川連合軍と武田軍の間で戦われた設楽原の戦いは、武田方の惨敗に終わった。馬場美濃守は敗走する主君勝頼を助けながら勇敢に戦い勝頼が逃げのびるのを見届けた後、この地で敵に自ら首を与えたと伝えられる。
|
2005年05月05日 |
3年前に来たときは場所が分からなかったのですが、今回は時間も十分にあったので探し出すことができました。「馬場信房戦死の地 この上」の看板があるところに車を止めて、少し北に行ったところから戻る方向に山道を登って行くとたどり着くことができます。 |
緒巻桜
|
2003年10月12日 |
天正3(1575)年、織田、徳川連合軍と武田軍の間で戦われた設楽原の戦いは、武田方の惨敗に終わった。馬場美濃守は敗走する主君勝頼を助けながら勇敢に戦い勝頼が逃げのびるのを見届けた後、この地で敵に自ら首を与えたと伝えられる。 |