信長賞詞地(コロミツ坂) |
2014年08月15日 |
ま かるたでつづる設楽原古戦場によれば、長篠・設楽原合戦が終わった後、有海のコロミチ(コロミツ)坂において、長篠城を守りぬいた奥平貞昌は織田信長から戦功をたたえられ、賞与の杯と信長の「信」の一字を与えられ、以降は信昌と名乗ったとのこと。徳川家康からは名刀般若長光を授けられ、家康の娘である亀姫を妻とし、徳川の譜代大名への仲間入りを果しました。
|
2006年05月06日 |
ま かるたでつづる設楽原古戦場によれば、長篠・設楽原合戦が終わった後、有海のコロミチ(コロミツ)坂において、長篠城を守りぬいた奥平貞昌は織田信長から戦功をたたえられ、賞与の杯と信長の「信」の一字を与えられ、以降は信昌と名乗ったとのこと。徳川家康からは名刀般若長光を授けられ、家康の娘である亀姫を妻とし、徳川の譜代大名への仲間入りを果しました。 ここは朝から場所を探していたのですが、なかなか見つけることができませんでした。設楽原歴史資料館で長篠・設楽原の戦い史跡案内図購入して場所を確認し、付近まで行ってみましたがそれでも分からず、グランドで野球の練習をしていた少年達や監督、コーチの方々に聞いてみたところ一緒に探してくれてやっとのことで見つけ出すことができました。本当にどうもありがとうございました。
|