伝武田諸将訣盃ノ池 |
2006年05月06日 |
ご夫人がやかんの水を冷しに来ていたのでお話を聞くことができました。伝武田諸将訣盃ノ池とは、設楽原での決戦の前に武田方の武将である馬場信春、山県昌景、内藤昌豊、土屋昌次の4人が最後の盃を交わしたところの候補地であったところだそうです。過去形になってしまっているのは、現在では盃を交わしたところとして伝武田諸将訣盃之跡が正式に認められているからなのです。候補地として競り合っていましたが伝武田諸将訣盃之跡からは土器が出土したため伝武田諸将訣盃ノ池は負けてしまったとのことでした。確かに新城市のホームページなどでは伝武田諸将訣盃之跡は紹介されていますが伝武田諸将訣盃ノ池については情報が載っていません。 |