馬場塚 |
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奈良県安堵町に馬場塚というものがあるとのことで高野山の帰路立ち寄ってみました。場所はすぐに分かりました。近くでちょうど年輩の男性の方が農作業をしていたので話を聞くことができました。彼の話によると馬場塚とは武田の家臣である馬場信春公のことであるとのことでした。地元では長篠の合戦の時にこの地で死んだと伝えられているとのことでした。長篠の戦いと奈良県がどう結びつくのか分かりませんが伝承ではこの地で死んだといわれているそうです。塚の方まで来てくれて五輪塔を説明してくれました。それによると以前は五輪塔は塚の中の別の場所にあったのだそうですが、子孫を名乗る人が来て場所を移動させたので五輪塔の一番下の部分がなくなっているとのことでした。 |
安堵町に残されている五輪塔の中で注目される遺品として、甲州武田の家臣馬場美濃守氏勝の供養塔である馬場塚頂上の五輪塔がある。馬場塚五輪塔は地輪・水輪が当初のもので、地輪の四面につぎの刻銘がある。「前敬礼司 氏勝墓 民部少輔甲陽武田家臣百廿騎之大将仕信虎公信玄公勝頼公而有戦功後依信玄公之命改馬場美濃守信房矣戦于三州長篠引率七百人初戦既得勝敵者多勢而十倍於味方勝頼公諸勢不得防而敗北於是美濃守討死于時天正三乙亥年五月廿一日」五輪塔の銘文としては異例に長く、被供養者の略歴までわかる貴重な遺品である。 |