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滋賀県大津市

新羅三郎義光の墓


2005年08月04日

新羅三郎義光の墓

新羅三郎は、源義光のことで源頼義の子にあたります。兄に源義家、源義綱がいます。新羅三郎というのは園城寺の北院の鎮守新羅明神をまつる新羅善神堂の神前において元服したことにちなむもので、兄も八幡太郎義家、賀茂二郎義綱とそれぞれ元服した神前に由来する名を別に有しています。
義光は弓馬の道にすぐれ、後三年の役(1083〜87)には、兄の義家を助けるため奥州へ出向いて、清原氏の乱を兄に協力して治めています。義光は1127年に没し、この墓が新羅三郎義光の墓といわれています。
(看板資料より)

新羅三郎源義光供養の記
八幡太郎義家が清原氏を討つため奥州に遠征し、金沢の棚で陣をはったが戦況不利のため、弟新羅三郎義光は援軍として奥州に馳せ参じる途中、足柄峠において豊原時秋に笙の秘曲を授けた史実はあまりにも有名である。海抜759メートルの足柄峠にある2メートル角大の岩石が笛吹き石と名付けられ、往時を偲ぶ唯一の証として残っているが、年々忘れられていくのを惜しみ、南足柄市、小山町の両観光協会は毎年9月の第2日曜日に足柄峠において供養及び笛まつりを実施しており、祭りの中で行われる笙の吹奏、雅楽合奏等は平安の昔を偲ばせる格調高いもので、近隣の善男善女で賑わっている。
この度、笙の秘曲伝授の地より義光公ゆかりの当地を訪れ、墓前においてねんごろに供養し、源家ゆかりの方々との交流が生まれれば幸いとこれを記します。
平成2年6月4日
神奈川県南足柄市観光協会
静岡県駿東郡小山町観光協会
(看板資料より)

滋賀県大津市の園城寺(三井寺)の近くに、源義光が元服したという神社があることは知っていました。比叡山から大津に下ってきて三井寺の近くまでくると、大津市役所の裏手に新羅三郎の墓というのがあるのを発見しました。車であちこち走りまわったのですがなかなかたどり着けず、大津市役所で聞いてなんとか場所を確認することができました。皇子が丘公園の弓道場まで車で行き、そこから歩いて下って行くと更に階段があってそこを下って右に進んでいくと新羅三郎源義光の墓にたどり着けました。思ったより立派な墓でした。


正覚寺
新羅善神堂
新羅三郎義光吹笙之石

 

 
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