足柄山笛の調べ
八幡太郎義家の弟、三郎義光は琵琶湖の畔り三井寺の近くの新羅の森で元服したから新羅三郎義光と云っていた。戦乱の世にあっても風雅の心を失わず、笙は時の名人豊原時元に学んだ。
堀河天皇の御代に奥州の清原武衡等が叛いて兵を挙げたのでこれを鎮定するために八幡太郎義家が行った。世に云う後三年の役で、この時敵の抵抗強く義家苦戦と聞いて三郎義光は数十騎の兵をつれて逢坂山を越え日を重ねて足柄峠に露営したのは寛治一年の仲秋の名月であった。義光は豊原時秋を傍近く呼んで「よく聞かれよ、我は御尊父より笙の秘曲を授り、これを後世に伝うべく託された。然るにこの度戦場に赴く上は生死が程も計り難い。我死なばこの道はすたれ先師の志をも空しうする。只今これより相伝の秘曲を伝授すれば貴殿はこれより京へ引き返しこの道を守られよ。」と輸しこの大石の上に坐り伶人豊原時秋に笙の奥儀を伝えた。
(看板資料より)
今年の夏に滋賀県大津市の新羅三郎義光の墓を訪れた際に、足柄峠の新羅三郎義光吹笙之石の存在を知りました。足柄峠であれば自宅から近いのでいつか訪れようと思っていましたが、今回思ったより早く実現できました。今日は素晴らしい天気でしたので神奈川県側から足柄峠への道を登っていく際に、遠く海まで見ることができました。峠を越えて静岡県側に入ってすぐに目的地に到着できましたが、すぐ隣には足柄城址がありそこから望む富士山は最高でした。
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