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山梨県甲州市

正宗寺

2014年07月12日

祐谷山正宗寺、浄土真宗。寺記によれば元享年間(1321〜23)に鎌倉の五郎入道正宗により開かれた真言宗道源山真教寺を始まりとし、岩崎氏の祈願所であったが、廃跡となり武田信春の子左馬助信継により再興され、応永29(1422)年に浄土真宗正宗寺となったという。天正10(1582)年東に落ちて行く武田勝頼一行がこの寺で休息したため、追手の織田勢により火をかけられ全山焼失し、天正13年駒飼の渡辺肥後尉により再建されたという。
現在の本堂は江戸時代に再建されたものだが、本堂の柱の一部に天正再建の古材が使用されており、総門、中門、宝蔵、庫裏、玄関、太子堂を備え、本堂前には亀のマツとカエデの巨木がある。
(看板資料より)

本堂

 



2005年05月29日

祐谷山正宗寺、浄土真宗。寺記によれば元享年間(1321〜23)に鎌倉の五郎入道正宗により開かれた真言宗道源山真教寺を始まりとし、岩崎氏の祈願所であったが、廃跡となり武田信春の子左馬助信継により再興され、応永29(1422)年に浄土真宗正宗寺となったという。天正10(1582)年東に落ちて行く武田勝頼一行がこの寺で休息したため、追手の織田勢により火をかけられ全山焼失し、天正13年駒飼の渡辺肥後尉により再建されたという。
現在の本堂は江戸時代に再建されたものだが、本堂の柱の一部に天正再建の古材が使用されており、総門、中門、宝蔵、庫裏、玄関、太子堂を備え、本堂前には亀のマツとカエデの巨木がある。
(看板資料より)

天正10(1582)年3月3日に武田勝頼は新府城に火をかけて東に落ち延びますが、その日の夕方に勝沼の大善寺に来ているのでその間にこの正宗寺に立ち寄ったのでしょう。天正10年3月3日に勝頼がたどったルートは新府城涙の森回看塚泣石→甲府→正宗寺→大善寺となるわけですね。

 

 
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