回看塚(みかえりづか)
天正10(1582)年3月2日、武田軍の信州高遠城は織田軍の猛攻撃により落城した。翌3日早朝、この報を受けた武田勝頼は在城わずか68日の新府韮崎城に火を放ち、夫人や子供、わずかな将兵を従えて郡内の岩殿城に向かって逃れた。
言伝えによると、新府を離れ、塩川を渡りこの地を通りかかったときに後ろを振り返り、煙が上がる新府を見て勝頼夫人は、
春がすみたちいづれどもいくたびか
あとをかへして三日月の空
と詠み悲しんだという。
この碑は大正12年9月に、塩崎村の有志によって建立されたものである。
昭和61年11月26日に町の文化財に指定された。
(看板資料より)
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