天沢寺 |
2014年07月20日 |
天沢寺は文明4年亀沢郷の地頭飯富氏が鷹岳宗俊禅師を開山に請じて開基した禅刹で北岳禅林の名で知られている。開基檀那飯富氏は逸見光長の子飯富宗李を祖とする甲斐源氏で子孫は武田家の重臣として亀沢、西八幡ほか数郷を領し、西八幡郷に在した武田信虎公に仕えた飯富道悦は虎昌と昌景のすぐれた二児を残して永正12年に没した。 |
飯富虎昌、山県昌景、飯富道悦の墓
天沢寺六地蔵幢
上から宝珠、笠、龕、中台、幢身(竿)、基礎からなり、龕の中には六地蔵が納められている。宝珠部分は五輪塔の空風輪が転用され、龕は後世において補われたもので、地上からの高さは2.25メートルを測る。幢身は下部が若干広がるものの六角柱に近く、その一面には「応永33年5月12日 大旦那妙性」と刻まれ、応永33(1426)年に大旦那の妙性によって建立されたことがわかるが、妙性がどのような人物であったかは不明である。
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2004年10月24日 |
天沢寺は文明4年亀沢郷の地頭飯富氏が鷹岳宗俊禅師を開山に請じて開基した禅刹で北岳禅林の名で知られている。開基檀那飯富氏は逸見光長の子飯富宗李を祖とする甲斐源氏で子孫は武田家の重臣として亀沢、西八幡ほか数郷を領し、西八幡郷に在した武田信虎公に仕えた飯富道悦は虎昌と昌景のすぐれた二児を残して永正12年に没した。 中央の新しくて大きな碑は、NHK大河ドラマ武田信玄を放映した際に建てられたらしい。それまではこの辺は竹薮でその中にひっそりと小さな祠があったとのことです。その小さな祠は現在は右側にひっそりと置かれていました。 |
天沢寺から南の方を見渡すと甲府盆地が見え、遠く竜王の町中を流れている釜無川まで見ることができました。更にその先の山の奥が飯富(いいとみ)というところで飯富家の出身地なのだそうです。ここから見えるところはすべて飯富家の領地だったのだそうで、領地の一番北に位置するこの地に菩提寺を建てたのだそうです。 |
天沢寺六地蔵幢
上から宝珠、笠、龕、中台、幢身(竿)、基礎からなり、龕の中には六地蔵が納められている。宝珠部分は五輪塔の空風輪が転用され、龕は後世において補われたもので、地上からの高さは2.25メートルを測る。幢身は下部が若干広がるものの六角柱に近く、その一面には「応永33年5月12日 大旦那妙性」と刻まれ、応永33(1426)年に大旦那の妙性によって建立されたことがわかるが、妙性がどのような人物であったかは不明である。
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