真田弾正忠幸隆屋敷跡 |
2007年10月28日 |
真田氏は、信濃国小県郡を中心に発展した滋野一族の支流で、幸隆は名族海野氏の出身といわれる。実名は幸綱が正しい。天文10(1541)年に、信玄の父信虎に攻められ、海野棟綱らとともに上野国に亡命したが、同15(1546)年までに信玄に臣従し、信濃経略に功績があった。信玄が落とせずに敗れた戸石城を、天文20(1551)年に乗っ取り、村上義清追放のために活躍した。永禄2(1559)年に、信玄にならって自らも出家し、一徳斎と号した。川中島の戦いや、上野国経略で戦功があり、上野国岩櫃城や白井城などを攻略し、武田氏の上野国西部制圧を確実なものとした。元亀元(1570)年ごろには家督を嫡男信綱に譲り、天正2(1574)年に病没した。 |
真田弾正忠幸隆
(永正10年?〜天正2年5月19日) |