白井城 |
2016年08月13日 |
本丸
白井城は山内上杉氏の有力な配下で家老職を勤めた長尾一族のうち、白井を本拠とした白井長尾氏の居城である。長尾氏が上野国に入ったのは建武4(1337)年に上杉憲顕が上野・越後両国の守護となり、長尾景忠が守護代務めたことに始まる。上野での景忠の居所は惣社(前橋市)で当時白井には白井氏を名乗る武士団が存在していた。その後上野と越後の守護が分岐し、長尾氏も景忠の3人の子供が分立し、景廉が越後長尾氏、景直が鎌倉長尾氏、清景が白井長尾氏の祖となったと「雙林寺本平姓長尾系図」に記されている。 |
二の丸
三の丸
北郭
帯郭
土塁
三日月堀
2005年04月30日 |
白井城は利根川と吾妻川の合流点に突き出した台地の先端に自然の要害を利用して築かれた城である。全体が三角形に近い構造で、城の中心である本丸は吾妻川沿いにあって西側は断崖に面しており、それ以外の方角は高さ3〜4メートルの土塁に囲まれている。北側には桝形門があり、太田道灌が指導したとの伝承が残る石垣が現存する。本丸を出て深い掘を土橋で渡ると北へ二ノ丸・三ノ丸と続き、その間にも堀が残っている。三ノ丸の外側には北の守として北郭・金毘羅郭があり、本丸の南東にはささ郭・南郭・新郭が連なっている。さらに城域の北と東には、それぞれ北遠構(きたのとおがまえ)・東遠構(ひがしのとおがまえ)の掘があって総郭(城下)を囲む構造になっていた。なお、城の護りの一部として、玄棟院(曹洞宗)・源空寺(浄土宗)をはじめとする大小の寺院が配置されている。また白井城の南東には仁居谷城があり、堀跡等も確認されていて両者の関係が注目される。 |
土塁でめぐらされた本丸
白井城は、上杉、武田、北条の間で頻繁に争奪戦が行われたところであり、情報を整理してみると次のようになるものと思われる。 白井宿から吾妻川の方へ登っていくと白井城にたどり着くことができます。白井城の杭が立っているところには石垣が残っていましたが工事中のポールが立っていました。石垣の内側が本丸と思われますが全体が土塁で覆われており土塁の上を歩くこともできました。城は吾妻川の断崖に面していて本丸の奥の方まで行ってみると吾妻川と榛名山を望むことができます。 |
白井城からの榛名山