甘利備前守虎泰屋敷跡 |
2007年10月28日 |
武田氏の譜代家老で、板垣信方とともに両職という最高職に就任していたとされる重臣。甘利氏は甲斐源氏の支流にあたり、武田氏を支えて活躍した。本拠地は、甘利荘と呼ばれた地域で、そこに館(現在の韮崎市大輪寺)があった。武田信虎・信玄2代の重要な作戦のほとんどに参加したといわれ、百騎の士卒を率いていた。天文15(1546)年8月、信玄が信濃志賀城(佐久市)の笠原清繁を攻めた際に、関東管領上杉憲政の援軍を、虎泰は、板垣信方らとともに、小田井原の合戦でこれを撃破している。同17(1548)年2月、信玄が村上義清と戦い、初めての敗戦を喫した上田原の合戦で戦死した。その跡は、ただちに息子藤三昌忠(後に左衛門尉)が継いだ。 |
甘利備前守虎泰
(?〜天文17年2月14日)
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