二連木城 |
2003年10月12日 |
元亀2(1571)年武田信玄は、三河に侵入して足助城、大沼城、田代城などの城を落としそのまま尾張に出撃する勢いでしたが、その後突然南下して菅沼定盈が守る野田城から吉田城へ向かいます。徳川家康は武田軍が三河に出撃してくるとは予想していなかったので準備が整わず急遽吉田城に向かいますが、酒井忠次が二連木の砦に陣を敷いて武田軍を食い止めたおかげで無事家康は吉田城に入れたのだそうです。 天正3年4月5日、武田勝頼は1万5千の大軍を率いて三河に出陣します。一部の軍で長篠城を包囲したまま南下し、二連木城付近を放火し更に吉田城を包囲しますが徳川軍が応戦しないため、再び長篠城に引き返して包囲し、その後設楽原の合戦がおこることになります。
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