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愛知県豊橋市

吉田城

2003年10月11日

吉田城略史
当吉田城は、はじめ今橋城と称し永正2(1505)年、牧野古白によって構築された。以来東三河の要衝として今川・武田・徳川ら戦国部将の攻防を経て天正18(1590)年に池田輝政が入封し、15万2千石の城地にふさわしい拡張と城下町の整備が行われた。しかし輝政は在城10年で播州姫路に移封され、のちに入封した大名は譜代ながら少禄のため輝政によって大拡張された城地も未完成のまま明治に至った。
この城の縄張りは背後に豊川をひかえ本丸を中心に二の丸、三の丸を配置し、それで堀が同心円状に取り囲む半円郭式の後堅固の城といわれるもので、本丸は3931平方メートル(1189坪)、二の丸は15154平方メートル(4584坪)、三の丸は50142平方メートル(15168坪)、腰郭は1864平方メートル(564坪)、堀土手敷は53534平方メートル(16194)坪、総面積は124625平方メートル(37699坪である。
現在見られる遺構は輝政時代の旧態を残している。
(看板資料より))

 
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