鈴木五代の墓
室町時代から戦国時代にわたり足助城に在城したこの地方を領有していた鈴木氏五代の墓である。足助城興亡の歴史をたどってみると
・大永5(1525)年
松平清康2千余騎で攻め寄せる。城主鈴木重政は清康の妹を嫡子越後守重直の妻に契約してその麾下に属する。
・天文4(1535)年
守山くずれで清康が殺されると松平氏を離れて独立。重直の妻久子を岡崎に送りかえす。
・永禄3(1560)年
桶狭間合戦後、家康が三河平定に乗り出すとまた松平氏に従属する。
・元亀2(1571)年
武田信玄2万3千の兵で伊那口より三河に乱入し、足助城をはじめとする付近の諸城は全て落城した。信玄は足助城に下条伊豆守を城代として置く。
・天正元(1573)年
家康の長子岡崎三郎信康は足助城を攻略して、元城主鈴木氏に与える。
・天正9(1581)年
高天神の戦に同族の加茂郡小原城主鈴木越中守重愛と共に奮戦。松平勢のあげた首級730余の内138級をあげる。
・天正18(1590)年
家康の関東入国に従い足助城は廃城。鈴木氏は改易となる。
(看板資料より)
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