福島城 |
2013年08月02日 |
<EOS Kiss X6i EF8-15mmf/4L FISHEYE
8.0mm Tv:1/30 Av:4.0 ISO:125> |
木曽福島町の北側、木曽川と支流黒川に挟まれた東西に走る山は城山と呼ばれている。現在大部分が国有林で樹木が生い茂っている。東端に権現滝の沢によって削られた谷があり、その東側は御城山頂よりも低く、南北に走った尾根ができ、町の真中に突き出ている。この尾根に福島城がある。築城の年代は分かっていないが、南麓に設けられていた居館について『木曽古道記』は「弘治2年義康新造ノ館善尽シ美尽シテ成ル(大川ノ西今山村氏ノ屋敷是ナリ)」と記している。 |
<EOS Kiss X6i EF8-15mmf/4L FISHEYE
8.0mm Tv:1/30 Av:4.0 ISO:400> |
この城は弘治年間(1555〜58)頃に築かれたことがうかがえる。また『木曽故事談拾遺』には「城山に義康古城址二の丸三の丸の跡有之」とあり、形式からみても天文〜弘治年間頃のものと推定される。 |
<EOS Kiss X6i EF8-15mmf/4L FISHEYE
10.0mm Tv:1/40 Av:4.0 ISO:320> |
城跡は木曽川に追って突き出たほぼ南北の尾根を、その西に続く高い山から大きな堀割で断ち切り、またその尾根の先から一段低く東西に走る興禅寺山との間も空堀で断ち切られ、そこに一郭がある。尾根は次第に南に傾斜して低くなっている。その最北の高所、即ち後ろの高い山から大きな堀割で断ち切った真南の高地に一の郭(「本丸」「本丸裏」の地名が残っている)があり、その東南の一段低い丘に二の郭があり、一の郭と二の郭の間に空堀を設けて区切っている。二の郭の南にはまた一段低く、東南に細長い丘が続いている。二の郭とこの丘との間も空堀で区切られ三の郭となっている。ニの郭には橋台の跡が残っており、三の郭には礎石が残っている。 |
<EOS Kiss X6i EF8-15mmf/4L FISHEYE
9.0mm Tv:1/40 Av:4.0 ISO:125> |
この他各郭の周りには空堀・竪堀などが設けられている。三の郭の東側に湧き水があり、小さな沢水となって流れ出ている。水の手として利用された湧水と推定される。やや離れて、北西の谷にも権現滝の沢の水が豊富にあり、飲用水には不自由しなかったと思われる。 |
<EOS M EF-M11-22mmf/4-5.6ISSTM 11.0mm
Tv:1/30 Av:4.0 ISO:200> |
2004年09月19日 |
天文年間、福島城(上の段城)の詰城として築かれたものといわれ、本丸、二の丸、三の丸が空掘により区画された、戦国時代末期の典型的な山城形式をうかがい知ることのできる貴重な史跡です。 |
城山古城跡 |
案内板に書かれているとおり典型的な山城でしたが規模は小さかったです。しかし木曽福島の街中から見えるかなり大きな山の頂上にある城で標高差はかなりあるような感じでした。あるような感じとあいまいな言い方をしたのは途中まで車で行けてしまったからです。 |