上杉家廟所 |
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上杉家歴代藩主の廟所で、藩祖謙信公を中央にしてその両側に12代までの藩主の廟が並んでいます。廟は2代から8代までは社造りで、材質もケヤキを用い、柱は丸柱となっています。9代から12代までの廟は10代藩主鷹山公の考案による宝形造りで、材質もスギやヒノキを用い、柱は角柱と簡素になり、藩の財政事情がうかがわれます。 |
上杉家歴代の廟所で、米沢市民は敬意をこめ「御霊屋(おたまや)」と呼んでいる。慶長6(1601)年上杉景勝公の移封に伴い、謙信公の尊骸は会津若松城から米沢城本丸に造営した祠堂に遷され安置された。 |
上杉謙信の墓
受付の人の話によれば、上杉謙信が越後春日山城で死んだとき、高野山に墓を作って林泉寺に分骨したのだそうです。その後、会津若松を経て米沢に移封したために上杉謙信の墓も米沢城内に移設したとのこと。これとは別に二代目景勝公以降はこの廟所に祭られていたが、明治時代になってから神式によるものに変わったとのこと。建物は神式ですが、焼香も置いてあって仏式と神式が混在したものになっていました。 |
中央が上杉謙信公、左側に二代目景勝公、左側に三代目定勝公と、左右交互に祭られていました。中央の上杉謙信公のものは明治になってからのものなので、ここで一番古いものは左側の二代目景勝公になるそうです。 |