上杉神社 |
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上杉神社は、米沢城本丸跡地で米沢市内のちょうど中央付近に位置しています。敷地内には上杉謙信公に像や、移設された上杉謙信公の墓があった場所である上杉謙信公祀堂(御堂)跡、伊達政宗誕生之地の碑などがありました。この日は朝6時半に到着しましたが、既に多くの人たちが掃除をしていました。歩いていてちょうど武田信玄に対する武田神社のようなところかなと思いました。 |
史跡 上杉謙信公祀堂(御堂)跡
江戸時代、上杉謙信公の霊骸を安置した御堂(祠堂)のあった場所である。上杉謙信は天正6(1578)年3月13日、越後春日山城内で逝去、49年間の生涯を閉じた。同15日、大乗寺良海を導師とし荘厳に葬儀が営まれ、謙信の遺骸は甲冑を着せ、甕に納め、密閉して葬った。 |
上杉謙信公
戦国末期、群雄割拠の中にあって「越後の虎」と怖れられた文武兼備の名将である。大儒者藤原惺窩は、戦国の世に学問を好んだ武将5人の筆頭に謙信の名をあげている。謙信は享禄3(1530)年1月21日、越後守護代長尾為景の次男(一説に三男)として越後春日山城に生まれた。幼名は虎千代、元服して平三景虎と称した。7歳のとき春日山林泉寺に預けられ、名僧天室の教えを受ける。真剣の生涯を貫く深い信仰心はこのとき培われたものであろう。天文12年、14歳の景虎は兄晴景の命によって林泉寺を離れ、越後平定に助力する。晴景に代わって長尾家を継ぎ、春日山城主となったのは19歳の冬であった。以来戦いにあけくれる日々を送る。攻めれば必ずこれに勝ったが、侵略のために兵を動かすことは絶えてなく、すべてが義のための戦いであった。 |
上杉神社御由緒 |
春日神社
春日神社の由来 |
稽照殿
宝物殿の御案内 |
伊達政宗誕生之地