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山形県米沢市

林泉寺


2005年08月06日

春日山林泉寺
上杉謙信公の祖父長尾能景が、父重景の菩提を弔い勲業を顕彰しようと、明応5(1496)年越後高田(現新潟県上越市)に開基建立した曹洞宗の寺院です。寺号「林泉寺」は長尾重景の法名、山号「春日山」は謙信公が上杉家を相続した折、上杉家の氏神である春日大明神を祭ったことによるものです。
慶長6(1601)年上杉景勝公が、米沢移封となり、それに伴って、林泉寺も米沢に移ってきました。
上杉氏歴代藩公の崇敬篤く、奥方や子女(26基)、上杉氏支候(16基)の廟所となっています。また、米沢城下創設の恩人直江山城守兼続の墓や、武田信玄の6男信清(共に県指定の史跡)など、上杉家重臣の墓が数多くあります。斜平山を借景とした庭園は、米沢三名園の一つに数えられています。
(看板資料より)


元家老 竹俣当綱家の門

この門は上杉氏十代鷹山公時代の名家老竹俣当綱(1729〜1793)家のものであったが、その跡地を受けた売間信任氏の特志により、明治41(1908)年8月、林泉寺に寄進されたものである。もと萱ぶき屋根であったが、損傷と老朽化がはげしいため、平成5(1993)年9月大改修により面目一新した。
(看板資料より)


武田信清之墓

山形県指定文化財
武田信清之墓
武田信玄の六男である。武田氏滅亡後、姉菊姫の夫上杉景勝公をたよって来る。上杉氏は高家衆の筆頭として優遇し、三千三百石を賜った。83才にて没す。子孫は代々米沢に居住した。
(看板資料より)


甲州夫人菊姫の墓

上杉氏二代景勝の正室で、武田信玄の四女である。武田信玄の没後、嫡子勝頼は上杉景勝と和を結び天正7(1579)年妹の菊姫を越後春日山城の景勝に嫁がせた。甲州夫人と呼ばれ敬愛されたが、慶長9(1604)年京都の伏見邸で逝去。享年47歳。歌舞伎本朝二十四孝十種香の場における八重垣姫のモデルと称される。
(看板資料より)


直江山城守兼続夫妻の墓

幼名樋口興六、直江大和守親綱の養嗣となる。才気群を抜き謙信・景勝の両公に仕え、藩政を一身に統括し慶長3(1598)年、30万石を領し豊臣の称号を許される。
米沢を居城として荒地の開拓、産業の開発、学問の興隆、民政の安定等を図り実に米沢開創の恩人である。
(看板資料より)


林泉寺

 

 
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