法音寺 |
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天文22(1554)年の第1回川中島合戦の折、信濃善光寺大御堂の如来三尊・什器等は越後へ移り、謙信は春日山城下に御堂を建てて安置した。のち上杉氏の移封に伴い慶長年間、本尊、什器は謙信の遺骸と共に米沢城本丸の御堂に奉安された。法音寺は明治初期、旧二の丸からこの地に移管され、本尊、什器は昭和初年に上杉家から同寺に寄贈された。三国伝来の由緒深い秘仏として知られる。 善光寺の本尊は武田信玄によって甲斐に移され、信長、秀吉の手を経て再び善光寺に戻されたという話は聞いていましたが、確かにどこかの本で川中島合戦の折、上杉謙信によって善光寺の本尊が越後に移されたというような話も聞いたことがありました。その後本当に本尊がここに来ているのかどうかについては隣の上杉家廟所で聞いてみましたが、「そういうことになっている」とのことでした。 |