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山梨県甲府市

多田淡路守満頼屋敷跡

2007年10月28日

多田淡路守は、美濃の出身という。仮名は三八郎といい、略して多田三八と呼ばれることが多かった。足軽大将に任命され、信虎以来、数多くの合戦に参加し、感状をもらうこと29度に及び、そのため全身に27ヶ所の疵跡があったという。信濃虚空蔵砦を警固していた時に、現れた鬼を退治したとの伝説がある。信玄より、甲信国境の先達城(長野県富士見町)を与えられて、ここを本拠とし、境目の守備を担っていたともいわれ、信濃経略に多くの実績を残した。先達城跡には、多田氏の菩提寺常昌寺が建つ。満頼の死後は、息子多田新蔵が後継者となったが、長篠の戦いで戦死したと伝わる。この他に、勝頼滅亡の際に殉死した、多田久蔵も満頼の子か一族と推定されている。
(看板資料より)

多田淡路守満頼

(?〜永禄6年12月)
鬼退治伝説の猛将
(看板資料より)


常昌寺(先達城)
センボウ塚

 

 
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