三郎山(渡辺金太夫祠) |
2017年06月11日 |
渡辺金太夫は名を照といった。遠州高天神城衆として徳川家康に属していたが、家康が天正2年武田氏との抗戦に敗れてから武田勝頼の麾下に加えられた。
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2006年12月30日 |
渡辺金太夫は名を照といった。遠州高天神城衆として徳川家康に属していたが、家康が天正2年武田氏との抗戦に敗れてから武田勝頼の麾下に加えられた。 |
渡辺金太夫照はもともと徳川の家臣でした。姉川合戦で織田信長から日本一の槍との感状を賜るほどの武勇絶倫なる武将でした。信玄死去後、勝頼の代になって天正2(1574)年、武田勝頼が徳川方の高天神城を攻めた際に高天神城主小笠原長忠の家臣として武田軍と戦いましたが家康や信長からの援軍が来ずに高天神城は落城してしまいます。このとき渡辺金太夫照は武田方につくことになりました。 |