長野県伊那市
仁科五郎盛信の家臣諏訪勝右衛門頼清の妻で、天正10年高遠城の戦いにおいて、夫勝右衛門が討ち死にした後、仇討ちせんと、敵中に切り込んだ。 紺糸の腹巻きに丈なす黒髪を乱して三尺ばかりの長刀を持って、敵2、3人を懸け倒し、最後は短刀を抜いて逆手に持ち自害して果てた。 この働きを信長公記は「比類なき働き前代未聞なり」と賞讃している。武将と共に五郎山に埋葬された。 (看板資料より)
仁科五郎盛信の家臣諏訪勝右衛門頼清の妻で、天正10年高遠城の戦いにおいて、夫勝右衛門が討ち死にした後、仇討ちせんと、敵中に切り込んだ。 紺糸の腹巻きに丈なす黒髪を乱して三尺ばかりの長刀を持って、敵2、3人を懸け倒し、最後は短刀を抜いて逆手に持ち自害して果てた。 この働きを信長公記は「比類なき働き前代未聞なり」と賞讃している。武将と共に五郎山に埋葬された。 (看板資料より) 三郎山から更に下って行くと諏訪はなの祠があります。諏訪はなは女性ですが、祠には小さなかわいらしい花が添えてありました。
→五郎山(仁科五郎盛信祠) →四郎山(小山田備中祠) →三郎山(渡辺金太夫祠) →一郎山(諸士の墓祠) →高遠城