光明城(高明城) |
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光明城(高明城) |
五人塚
2005年02月12日 |
光明城(高明城) |
内山真龍資料館で只来城の場所を聞いていたときに、天竜市内には他に光明山遺跡というものがあって、昔お城があったといわれているという話を聞き、寄ることにしました。現在の石垣跡は光明寺のもので、光明寺が火災にあって以降はそのまま石垣だけ残っているとのこと。現在の光明寺は市役所の近くにありました。お寺の人は昔光明山に城があったということを否定しているようで確かに現地の看板には平安時代から寺があったようなことが書かれていました。少なくとも現在残されている立派な石垣は城跡ではなくて光明寺跡のものであることは間違いないようです。 |
遺跡の森 |
古井戸
光明山からの眺望は見事でした。石垣の上には展望台と望遠鏡も設置されていて、説明の通り本当に浜名湖から遠州灘、そして反対方向には富士山まで見渡すことができました。いつもは霞んでしまうらしく今日は珍しくきれいな景色になったのだそうです。只来からの景色も良かったですがその只来城あたりも見渡すことができました。 |
徳川家康腰掛石
地元では、徳川家康が武田信玄との戦で敗れて逃げ帰ってきて腰掛けた石といわれているそうである。どこで戦って負けてきたのか分かりませんがこんな山の上にもこのようなものがありました。遠州には似たような話があちこちにありますね。 |
五人塚
光明山遺跡から少し奥に歩いて行くと五人塚というものがあります。遊歩道のところに、下の写真のような白く朽ち果てた看板があり、 |