浜松八幡宮 |
2015年02月07日 |
元亀3(1572)年12月、三方原合戦に敗れた家康は、天林寺に入り、義俊和尚が案内して当八幡宮に逃れ、義家ゆかりの「楠」の洞穴に潜み、甲州勢の追手を逃れて武運を祈願した時、楠の上に瑞雲立ち昇り、神霊が白馬に跨り、浜松城方面へ飛び立ちました。家康は八幡宮の加護により「戦われに利あるべし」…と勇躍、城に帰り、犀ヶ崖に布の懸橋を渡して、武田信玄の入城を防ぐことができました。有名な酒井忠次の陣太鼓の武勇伝もこの時のことであります。 |
雲立ちのクス
楠の巨樹で、地上1.5mの幹回り約13m、根元回り14m。枝張り東西約21m、南北約23m、樹高約15mあり、幹の下部には大きな空洞がある。幹は地上1.5mのところより数枝に分かれ、古木の部は樹勢が衰えているが、新生部はすこぶる旺盛で、枝葉は四方に繁茂している。
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2013年01月27日 |
元亀3(1572)年12月、三方原合戦に敗れた家康は、天林寺に入り、義俊和尚が案内して当八幡宮に逃れ、義家ゆかりの「楠」の洞穴に潜み、甲州勢の追手を逃れて武運を祈願した時、楠の上に瑞雲立ち昇り、神霊が白馬に跨り、浜松城方面へ飛び立ちました。家康は八幡宮の加護により「戦われに利あるべし」…と勇躍、城に帰り、犀ヶ崖に布の懸橋を渡して、武田信玄の入城を防ぐことができました。有名な酒井忠次の陣太鼓の武勇伝もこの時のことであります。 |
雲立ちのクス
楠の巨樹で、地上1.5mの幹回り約13m、根元回り14m。枝張り東西約21m、南北約23m、樹高約15mあり、幹の下部には大きな空洞がある。幹は地上1.5mのところより数枝に分かれ、古木の部は樹勢が衰えているが、新生部はすこぶる旺盛で、枝葉は四方に繁茂している。 |