市川三郷町
白雲山平塩寺 平塩山白雲寺とも呼ばれた平塩寺は、天平7(735)年、僧行基が直辨和尚を開山として、平塩に建立し、東塔院は阿弥陀如来、西塔院は薬師如来を本尊とした法相宗の寺院にはじまる古い寺です。 延暦年間(782〜802)に天台宗に改宗し、寺勢を大いに広めました。源義清が甲斐の下司となったのもこの寺の源行房(市川別当)に依ったものであり、鎌倉幕府と関係深い逸見法印空阿、名僧夢窓疎石が得度したのもこの寺です。さらに若草町加賀美山法善寺に伝わる県の重要文化財、大般若経奥書の「建長6(1254)年7月16日、平塩寺降舜」、大月市水上山花井寺の県文化財絵本墨書大般若経の奥書「安貞2(1228)年、僧幸明」も平塩寺で書写したものです。このことからしても当時は天台宗の巨刹であったことがうかがえます。天正10(1582)年、武田家滅亡の時には、平塩寺はすでに荒廃し、いわゆる天台百坊と称する末寺は真言宗によって再興されました。 (看板資料より)
平塩寺の案内板から中に進んで行くと、奥のほうに建物がありました。神社のような感じでしたが昔はかなり大きな寺だったようで、現在の宝寿院の方までがその敷地だったともいわれているようである。ここの向かいの丘に熊野神社や源義清公館跡伝承地、甲斐源氏旧蹟之碑などがあります。
→熊野神社 →甲斐源氏旧蹟之碑 →清光寺 →義清神社 →源義清公館跡伝承地