真田源太左衛門尉信綱屋敷跡 |
2007年10月28日 |
真田幸隆の嫡男で、元亀元(1570)年ごろに父の跡を継ぎ、真田氏の当主となった。信玄の命により、永禄10(1567)年、父幸隆とともに上野国白井城を攻略し、箕輪城に入って、その増強を行っている。また同じころ、上野国岩櫃城代となり、上杉謙信の南下に備えた。信玄晩年合戦にはほとんど参加しており、その功績により、元亀3(1572)年には信濃の武士で唯一、200騎という最大の兵力を与えられた。この兵力は、武田勝頼・信豊・穴山信君らに並ぶものであり、信玄の信頼の厚さを窺わせる。天正3(1575)年の長篠の戦いでは、弟昌輝とともに、勝頼を逃がすために奮戦して戦死した。真田家は兄弟が戦死したため、武藤家(信玄生母の一族)の養子となっていた昌幸が相続した。 |
真田源太左衛門尉信綱
(天文6年〜天正3年5月21日) |