妻女山 |
2013年07月21日 |
妻女山のご案内 |
展望台からの景色
ここは、1561(永禄4)年9月10日の第4次川中島合戦の折り、越後の上杉謙信が陣を設けた山。ここから川中島平は一望でき、海津城の動静を伺い知ることができた。 1561(永禄4)年9月10日(現在の暦では10月28日)、八幡原を中心とする川中島平の広い範囲で武田・上杉両軍による4回目の戦が行われた。 |
松代妻女山招魂社
松代妻女山招魂社は、戊辰戦争の際松代真田藩の藩士として従軍し、戦死された52柱の御霊を祀るために、第10代藩主真田幸民が明治2年に建立した神社であります。
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2004年05月22日 |
川中島合戦のとき、上杉謙信が陣営を設けた山で、この平地は陣場平、その南西は千人窪と称し、伏兵千人を潜ませたと伝えられている。川中島平は一眺の中に入り、海津城の動静を伺い得る地である。 |
招魂社
妻女山の招魂社は戊辰戦争の戦没者を祀っているとのこと。 |
展望台
永禄4(1561)年のこの合戦は、武田信玄と上杉謙信が一挙に勝敗を決すべく、両軍合わせて3万3千もの軍勢が激突した凄まじい戦いである。信玄が4月、信濃守護の名のもとに信濃に進出し、割ヶ獄城を落としたのがこの大合戦の起因である。上杉軍は8月16日に海津城の向かい妻女山に1万3千の陣を置き、武田軍は茶臼山から8月29日に海津城に入り兵力を2万とした。武田軍は山本勘助の案により軍を二隊に分け、一隊が夜陰にまぎれて妻女山に進み奇襲攻撃をかけ、上杉軍が山を下るのを残る一隊が待ち受けて八幡原で撃つ「きつつき戦法」を実行したが、上杉軍はそれを見破って、9月9日の夜ひそかに山を下って雨宮から千曲川を渡った。9月10日川中島は霧の深い朝だった。 |
展望台からの景色