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埼玉県小川町

輪禅寺

武田氏一族の墓域
輪禅寺は、江戸時代、上横田を治めた武田新十郎信俊が父信実(武田信玄の異母弟)の追福と一族の菩提寺とするために、慶長13(1608)年、既にあった安養寺を廃し、新たに建立した寺です。墓域には一族52基あまりの墓石があります。
(看板資料より)

武田信俊筆鷹絵図・二幅
この鷹絵図二幅は、武田信十郎信俊が描いたと伝えるものです。これを旧家臣の五島重郎兵衛と千野弥五右衛門の二人が信俊在世中に拝領し、信俊の13回忌に菩提を弔うために当寺に寄進したものです。
(看板資料より)

武田家累代霊廟改修記念碑
一機山輪禅寺の一角は開基信実公を初代とし、10代信禄公に至る武田家ゆかりの墓域であって小川町文化財に指定されている。蓋しこの一族は当寺開山をはじめとして4代信貞公にみる如く殖産興農に意を尽くされたのである。依って後世等しくその恩恵に浴して今日に至っている。茲に往時をしのび諸公の慈愛と経綸に対して改めて敬意と感謝を捧げると共にかかる文化財を持つことは我等郷党の誇りとするところである。然しながらその墓石が三百有余年の星霜を閲し風雪に遭い傾斜するなど危険な状態となる。これを復位して整備することは後世を預かる我等の責務である。茲に関係者相図り工を起して安置し永くその遺徳を伝えんとする次第である。
(看板資料より)

寺の墓域の中央付近が生垣で囲われていて、そのなかに上の写真のように多数の墓石がありました。どの墓石が誰の墓なのかは分かりませんでしたが、武田信親などの名前も見受けられました。川窪信俊の父は武田信実であり武田信玄の弟になります。武田信実は長篠設楽原の合戦の際、1千の兵で鳶ヶ巣山陣地を守りますが、酒井忠次の4千の部隊に奇襲されて激戦の末戦死します。

 

 
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