追取り |
2015年10月12日 |
追取様の由来 一本松(山本勘助物見の松)から東方の山道を150メートル入ったところにある。落城より前に城中にいたお姫様は乳母と共に素足で阿島の安養寺に逃れようとこの地まで来たが、武田軍に捕えられ殺されたという。現在小さな祠があり、足神様と称されて草履、草鞋などが供えられた。 |
追取観音
神之峰床山城が武田軍の焼討ちによる戦火を逃れ、阿島の安養寺に向った綾姫と乳母は、この地において武田軍に追い取られ殺害された。この綾姫の死を悼み、その御霊の安らかならんことを祈り観世音菩薩を建立する。
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2007年04月29日 |
追取様の由来 |
一本松(山本勘助物見の松)から東方の山道を150メートル入ったところにある。落城より前に城中にいたお姫様は乳母と共に素足で阿島の安養寺に逃れようとこの地まで来たが、武田軍に捕えられ殺されたという。現在小さな祠があり、足神様と称されて草履、草鞋などが供えられた。 |
追取観音
神之峰床山城が武田軍の焼討ちによる戦火を逃れ、阿島の安養寺に向った綾姫と乳母は、この地において武田軍に追い取られ殺害された。この綾姫の死を悼み、その御霊の安らかならんことを祈り観世音菩薩を建立する。 ジタジタ峠の近くのお宅で頂いた観光パンフレットで紹介されていた史跡のひとつである追取りに寄ってみました。山本勘助物見の松から150メートルほど入ったところらしいのですが見つけることができず、山本勘助物見の松の近くで場所を聞いてみましたが結局分かりませんでした。しかしひょっとしたら近所の牛舎のところかもしれないとのことでしたので行ってみることにしました。かなり狭い道を進んでいくと確かに牛舎がありましたが行き止まりでした。見つけられないのであきらめて帰ろうとしたのですが、大きくて立派な観音様があったので何気なく看板を見てみるとなんとこの観音様は「追取り観音?」とのことでした。パンフレットの地図では棒杭が立っている程度の様子でしたのでこんなに立派な観音様があるところであったとは思いもしませんでした。観音様に向かっている階段のほかにも左側から更に1段上に行かれる階段もあり、観音様の上の方にも石碑や祠などがありました。
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