神長官守矢資料館 |
2014年05月18日 |
神長守矢家祈祷殿 |
守矢家について |
御頭祭の復元展示 |
神長官邸のみさく神境内社叢
2本のカジノキは、それぞれ、およそ100年・40年の樹齢と推定される。植樹されたものであるが、諏訪大社の神紋をもつ樹種で、当地方としては珍しく、また、貴重である。カヤ・クリも市内では大きい方であり、古い由緒をもつ当社を象徴する社叢として保存の価値を認めるものである。みさく神は、諏訪社の原始信仰として、古来専ら神長官の掌る神といわれ、中世の文献「年内神事次第旧記」・「諏訪御符礼之古書」には「前宮二十の御左口神勧請・御左口神配申紙は紙長の役なり。」とある。このみさく神は、御頭みさく神ともよばれ、諏訪地方みさく神祭祀の中枢として重んぜられてきている。 |
大祝諏訪家墓所
2007年04月15日 |
神長官は「じんちょうかん」と読むということを今回初めて知りました。神長官というのは諏訪大社の筆頭神官のことで代々守矢氏が一子相伝で努めてきたとのことです。武田信玄の時代の神長官は守矢頼真、信実で、武田軍のために戦勝祈願を行い武田家の信頼を得ていたようです。 |
神長守矢家祈祷殿
守矢家の祖先は諏訪大明神建御名方命入諏以前からの土着の神といわれ、古代以降上社大祝を補佐し、上社五官の筆頭として代々祈祷と政務事務を掌握してきた家柄である。現在同邸内には祈祷殿のほか、旧祈祷殿遺跡・御頭役郷庄の精進屋遺跡・御頭みさく神・勅使殿等がある。神長官家の祈祷は一子相伝で、神長以外他の何人もたずさわるを許されず、神長が祈祷殿に籠って祈祷調伏した記録が「満実書留」(守矢文書)に数多くみえており、また守矢頼真が後年、長坂筑後守に与えた書状には「殊更壬虎九月廿四日ニ御願書御越候 神長1人にて終夜御祈誓申候處其儘御祈祷相叶候」と記されており、これにより、神長官守矢頼真が天文11(1542)年9月24日、武田晴信(信玄)のために祈祷殿に籠って戦勝祈願を行い、高遠頼継の率いる高遠勢の調伏があったことを裏付けている。 |
御頭祭で使用されていたもの紹介する展示を見てから、その奥では「諏訪と武田信玄」の企画展示で展示されている古文書を見せてもらいました。そのうち特に以下の3点について詳しく説明してもらいました。 |
御頭祭の復元展示 守矢家について |
神長官邸のみさく神境内社叢
2本のカジノキは、それぞれ、およそ100年・40年の樹齢と推定される。植樹されたものであるが、諏訪大社の神紋をもつ樹種で、当地方としては珍しく、また、貴重である。カヤ・クリも市内では大きい方であり、古い由緒をもつ当社を象徴する社叢として保存の価値を認めるものである。みさく神は、諏訪社の原始信仰として、古来専ら神長官の掌る神といわれ、中世の文献「年内神事次第旧記」・「諏訪御符礼之古書」には「前宮二十の御左口神勧請・御左口神配申紙は紙長の役なり。」とある。このみさく神は、御頭みさく神ともよばれ、諏訪地方みさく神祭祀の中枢として重んぜられてきている。 |