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長野県諏訪市

諏訪大社上社本宮

2014年05月18日

信濃国一之宮 諏訪大社 上社本宮
我国最古の神社の一つであり、信濃国の国造りをなされたのち、日本国土の守護神としてこの地にお鎮りになり、信濃国一之宮として皇室武門および一般の信仰が厚く、全国一万有余の諏訪神社の総本社である。
(看板資料より)

諏訪大社上社社叢約11.5ha
この社叢は落葉樹からなる自然林として多種多様の樹木と多くの美しい植物群落を同一箇所で見られる珍しいもので亡びつつある中部地方天然落葉樹林の林相の保存されている貴重な樹叢である。クリ、カエデ類、フジキなど木本160余種、ヤマブキソウ、レンプクソウ、ミヤマイラクサなど草本420余種が成育している。
(看板資料より)

諏訪大社上社本宮幣殿等六棟
この建築は天保6(1834)年に上棟式をしており、工匠は上諏訪の人、幕府から内匠の称号を許された名匠二代立川和四郎富昌の代表作であり、また左片拝殿にみる蟇股から脱化した粟穂に鶉の彫刻は写生に徹した富昌の至芸である。
(看板資料より)


勅願殿

勅願とは天皇の祈祷という意味である。当社の場合この建物は御祈祷を行う場所である。
建立は元禄3(1690)年といわれ建物の配置は諏訪大神の御神霊が宿る守屋山(御神体山)に向かい建てられ古図には祈祷所と記されている。
幣拝殿が大社の恒例祭典や重要神事を齋行して国家安泰並公事の祈願を執行する場所であるのに対して勅願殿は個人私事の祈祷を行う場所である。
(看板資料より)


大國主社(摂社)

御祭神:大國主命
例祭日:5月14日
諏訪大神の御父神である大國主命を祀る社で古事記によれば諏訪大神「建御名方神」は大國主命の第2子と記されている。
(看板資料より)


高島神社

御祭神
諏訪頼忠公 大祝中興の祖・諏訪藩祖
諏訪頼水公 大祝高島藩初代藩主
諏訪忠恒公 高島藩二代目藩主
例祭日 9月23日
本来の例祭日は9月23日だが最近は8月12日に神裔の御参列のもと例祭を執行している。
諏訪氏は当大社の御祭神諏訪大神の子孫で上社最高の祀職大祝となり更に藩主として政治を行った。この祭政一致の形態は往古より続く諏訪の特徴である。
御祭神は江戸時代初期における高島藩中興の藩主三代の御遺徳を尊びお祀りしている。
(看板資料より)


天流水舎

俗にお天水と称されるどんな晴天の日でも雫が三滴屋根上の穴から降り落ちると云われ諏訪の七不思議の一つに数えられている。旱天の祈りにはこのお水を青竹に頂いて持ち帰り雨乞いの祭をすると必ず雨が降ると云い伝えられる。
(看板資料より)


五間廊と勅使殿

五間廊
現在の建物は安永2(1773)年の建造であり、廊下様式切妻造りである。古記録には神長官・祢宜太夫権祝・擬祝・副祝の五官着座のことが見えている。
(看板資料より)

勅使殿
現在の勅使殿は元禄3(1690)年の創建であり安政年間に大修理を加えてある切妻流れ正面大唐破風造りである。
中央の記録では、神門戸屋・帝屋とも書かれており建武2(1335)年大祝即位の記録には御門戸屋にて神事があり社殿に布を敷いて其の上に五穀を供えそこに大祝が着座したことが見えている。
また勅使参向の折には幣帛の授受が行われた所である。
元旦の蛙狩神事や御頭受神事も行われた所である。
当時の勅使殿は今の神楽殿の前あたりにあり拝殿の性格をもっていた。
(看板資料より)

 



2004年03月13日

信濃国一之宮 諏訪大社 上社本宮
我国最古の神社の一つであり、信濃国の国造りをなされたのち、日本国土の守護神としてこの地にお鎮りになり、信濃国一之宮として皇室武門および一般の信仰が厚く、全国一万有余の諏訪神社の総本社である。
(看板資料より)

諏訪大社上社社叢約11.5ha
この社叢は落葉樹からなる自然林として多種多様の樹木と多くの美しい植物群落を同一箇所で見られる珍しいもので亡びつつある中部地方天然落葉樹林の林相の保存されている貴重な樹叢である。クリ、カエデ類、フジキなど木本160余種、ヤマブキソウ、レンプクソウ、ミヤマイラクサなど草本420余種が成育している。
(看板資料より)

諏訪大社上社本宮幣殿等六棟
この建築は天保6(1834)年に上棟式をしており、工匠は上諏訪の人、幕府から内匠の称号を許された名匠二代立川和四郎富昌の代表作であり、また左片拝殿にみる蟇股から脱化した粟穂に鶉の彫刻は写生に徹した富昌の至芸である。
(看板資料より)


御柱

武田信玄に滅ぼされた諏訪頼重は諏訪氏の当主であると同時に諏訪大社の大祝でもありました。大祝というのは現人神:あらひとがみとして諏訪大社の頂点に位置していた役職で上社と下社で別々の大祝が存在していたそうです。
上社の大祝が諏訪氏、下社の大祝が金刺(かなさき)氏でしたが、下社は上社の諏訪氏に滅ぼされて大祝はなくなりました。
当時、諏訪の領主というだけでなく全国に信者を持つ諏訪神社の総本社の大祝であった諏訪頼重を滅ぼしてしまったことは分かっていたのですが、よくよく考えるとすごいことをしてしまったんだなぁと思うとともに、いくら名家でも実力がなければ容赦なく滅んでいってしまう時代だったのだということを実感しました。

諏訪大社上社前宮

 

 
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