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埼玉県新座市

平林寺

2012年01月09日

見性院の宝篋印塔

見性院は武田信玄の二女で武田家の有力武将である穴山信君(梅雪)の正室である。実名は定かではないが、法名を見性院殿高峯妙顕大姉という。梅雪の死後、夫梅雪と懇意であった家康に養われ、のちに秀忠の子、幸松丸(後の保科正之)と、母お静の方を引き取り、養育した。元和8(1622)年5月9日没し、足立郡大牧村(浦和市)の清泰寺に葬られた。平林寺にある宝篋印塔は、見性院が家康や鉄山禅師と懇意であったことから後に建立されたものである。
(平林寺パンフレットより)

 


平林寺は臨済宗妙心寺派の寺院です。南北朝時代の永和元(1375)年石室善玖禅師を開山として、岩築(槻)城の北西、金重村の地に建立されました。
天正18(1590)年の浅野長政による岩築城攻めの際に伽藍を焼失しましたが、同20年に駿河の臨済寺から鉄山宗鈍を招いて再興されました。
その後、当寺を菩提寺とする松平伊豆守信綱の遺命により、子の輝綱が寛文3(1663)年野火止の地に伽藍をすべて移しました。
県指定の建造物である4棟は、岩築からの移築によるものです。
(看板資料より)

 


惣門

間口2間1尺。茅葺。1丈4寸の両扉を付けた切妻造りで、桁行4.1m、梁間3.4mの禅宗様の円柱脚門です。京都詩仙堂の石川丈山によって揮毫された「金鳳山」の額を掲げています。
(看板資料より)


山門

間口3間。奥行2間。茅葺。楼門の中央に両扉を付けた重層入母屋造りで、桁行5.7m、梁間3.6mです。楼門は肘木で外縁を支えて高欄を廻らし、石川丈山の「凌霄閣」の額を掲げています。
正面桟戸の両側には華燈窓を施しており、内部には室町時代の釈迦如来坐像、江戸時代初期の文殊・普賢両菩薩坐像、南北朝時代の十六羅漢像を安置しています。
(看板資料より)


仏殿

間口6間。奥行5間半。茅葺。唐様の単層入母屋造りで、桁行11.6m、梁間10.7mです。中央が両扉の桟戸で、華燈窓は正面左右に四窓、東西両面には二窓づつを配しています。
中央の須弥壇には、南北朝時代の釈迦如来坐像と、室町時代の迦葉・阿難の二尊者を安置しています。
(看板資料より)


中門

間口8尺。奥行1間4尺。茅葺。中央に両扉を付けた切妻造りです。桁行3m、梁間2.5mの禅宗様の円柱四脚門です。
(看板資料より)


本堂

本尊釈迦牟尼佛を安置し、達磨大師並びに歴代住職の霊碑をまつっている。開山石室善玖禅師が岩槻の地に永和元(1375)年に開創、中興鉄山禅師をへて寛文3(1663)年石院和尚の時に松平伊豆守信綱公及び輝綱公によってこの地に移された。
本堂は明治13(1880)年の再建である。
(看板資料より)


島原の乱 供養塔

増田長盛の墓

松平伊豆守信綱公の墓


清泰寺
南松院
最恩寺

 

 
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