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長野県阿智村

八幡社

2008年3月16日

駒場の丸山というところまで行って、地元の人に信玄公の供養塔のことを聞いたら、ちょうど目の前の小高い丘の上にある八幡社の境内の中にあると教えてくれました。八幡社はきれいに整備している最中のようでした。本堂?の左となりに供養塔がありました。説明板のようなものはありませんでした。

武田信玄の供養塔

一ノ瀬義法著「武田信玄終焉地考」によると、駒場の高坂弥太郎という人が、根羽の信玄塚にあった宝篋印塔を模して根羽村石工、石原虎次郎に製作依頼したものであるとのことでした。当時の根羽の宝篋印塔は三重の塔で五輪の塔の一部が周辺に四散していたとのことです。根羽の信玄塚が三重の塔の状態の時に模したので駒場の供養塔は今のような形になっているようです。ちなみに根羽の宝篋印塔はその後明治28年に日本考古学会員・墓碑研究家である池上年氏が調査のうえ、近くに落ちていた2個の石を見つけて現在のような形に積み上げられたとのことでした。

 


信玄塚

 

 
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