蔵六寺 |
2008年03月22日 |
蔵六寺に笠原新六郎の墓があるとのことで今回立ち寄りました。笠原新六郎は北条氏の重臣である松田憲秀の子で後に笠原家の養子となり、武田勝頼との国境の最前線である戸倉城をまかされていた。沼津三枚橋城の武田方との激しい攻防の末、天正9(1581)年に武田方に降伏した。その後はこの蔵六寺を開山したとのことでした。 |
正厳和尚(笠原新六郎)の墓
現地でお寺の方にお墓の場所を確認して参拝させてもらいました。笠原新六郎は正厳和尚であり、お墓の左側にある墓誌によると、天文2(1533)年にこの蔵六寺を開山し、永禄3年3月28日遷化(死去)とありました。戸倉城の笠原新六郎が武田方に降るのは天正9年ですから永禄3年に死去してしまっているのはつじつまが合いませんね。 |
→戸倉城
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