安居神社由緒略記
少彦明神を奉祀したのは古文書が散逸したので現在は詳かではないが、非常に古い時代の事であると伝えられている。この神は医薬禁厭(医術・薬方・まじない)智慧の祖神として、その霊験はまことにあらたかな神である。
菅原道真公の奉祀は公筑紫へ左遷される途上海上浪荒く暫くこの地に立ち寄って憩われた旧跡である所以を畏み、後40年を経た天慶5(942)年此処にその御神霊をお祀りしたと伝えられている。
菅公御神徳は誠の権化であり又学問文化の神として人々を守護し導き給うのである。
当神社の御神徳を厚く蒙った人々は昔から多く、中にも大丸の業祖下村彦右衛門氏は大きな御加護を賜りて繁栄されたことは有名であり当神社に対する信仰は極めて篤く大丸天神と称せられる所以である。
境内に古より、癇鎮めの井と称する清冽なる水湧出する井戸があり霊水として広く知られているが、現在は四囲の状況に禍され枯渇の状態にある。又大阪夏の陣における真田幸村戦死の地と伝えられ石碑が建っている。
昭和20年太平洋戦争の災禍をうけ一切の建物は烏有に帰したが、大丸を始め奉賛者の寄進により同26年春復興され現在種々の祭典が執行されている。
(看板資料より)
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